はじめに
平成20年(行ウ)第20号(上関原発)公有水面埋立免許取消請求事件の第一回公判(口頭弁論)が、2009年8月19日午後1時半、山口地方裁判所第31号法廷にて開かれた。
昨年の12月2日に提訴から約8ヶ月と半月、待ちに待った上関自然の権利訴訟第一回公判の日である。
いわゆる「自然の権利訴訟」と言われるこの訴訟の原告は、スナメリをはじめ、上関町長島の田ノ浦周辺に生息する希少な生物たちと祝島島民、「長島の自然を守る会」、その他の団体及び個人である。
街頭アピール
午前10時半、山口地方裁判所前にぽつぽつと人が集まり始めた。集まった15名は、午後から始まるこの裁判を少しでも多くの人達に知ってもらい、少しでも多くの署名を集めようと、山口市の米屋町商店街に立った。
その手には「生命の海を埋め立てないで!!すべての生き物の名にかけて訴えます」と大書された横断幕を掲げられている。マイクを握った原告団代表の高島美登里さんは、瀬戸内に残された最後の生物多様性のホットスポットである長島の貴重な自然を守りたい、と道行く買い物客たちに切々と訴えかけた。足早に通り過ぎる人もいるが、足を止め、チラシを受け取ってくれる人が予想よりもずっと多い。
幾人かがマイクを握り、それぞれの言葉でこの問題を訴えかける。署名を求める者の前には、熱心に話し込んでいく人の姿があった。高齢の買い物客、サラリーマン、女子高生と様々な人達が足を止め、署名をしてくれている。ある高齢の女性は、「問題があることは知っていたけど、キチンと話を聞いたのは初めてだった。これは止めないといけないと思った」とおっしゃっていた。わずか一時間足らずの間に、80名もの方々が署名をしてくださった。
山口地裁前にて
12時半、山口地裁の前には、祝島から、山口周辺から、遠くは大分や埼玉からも支援の人々が続々と集まっていた。すでに40名を軽く超えている。マスコミの関心も高い。
公判を前に、地裁前でささやかな集会が行われ、篭橋主任弁護士から、この訴訟の趣旨が説明された。この訴訟の本質は、横断幕に書かれたとおり「生命(いのち)の海を埋めないで」という一言に尽きる。瀬戸内に生きる全ての生物、そして、そこで暮らす人々の暮らしを根底で支えている海を埋め立てる、山口県の公有水面埋立免許の取消を求めている。
この訴訟では、6種の野生生物、島民の暮らしを守る会、長島の自然を守る会、111名の個人が原告となっているが、傍聴席には35名しか入れないため、原告であっても傍聴ができないことがある。
そのため、公判の30分前に抽選が行われた。傍聴を希望する者たちは緊張した面持ちでクジを引く。遠路はるばるやってきて、はずれを引いた人達もいたが、地裁側の配慮で原告席を増やしてくれたため、幸い全員がこの第一回公判を傍聴することが出来た。
公判と意見陳述
裁判官入廷の後、いよいよ公判がはじまる。声が小さく、早口で、専門用語ばかりのやり取りは、素人にはなかなか理解できない。しかし、傍聴席は身じろぎもせず進行を見守っている。通常は略式で済まされてしまう訴状陳述も、要旨だけの短い内容ではあったが、口頭での陳述ができ、原告二人の意見陳述が行われた。
一人目は、祝島の中村隆子さんである。昭和5年のお生まれ、今年79歳とのことである。
中村さんは亡くなられた夫とともに「ほこつき」というイサリ漁で生計を立て、6人のお子さんを育てられたという。その堂々としたお話ぶりに、島での暮らしに強い誇りをもっておられることが伺われる。
「ほこつき」とは、船の上から箱メガネで水中を覗き、長い竿の先に付けてある「鉾」でアワビやサザエ、魚などを突いて捕る漁法であるが、「何にも増して澄んだきれいな海でないと仕事にならない」とのことである。
「今まで、きれいで豊かな自然の恵みを受け、生活してこれたし、これからもずっと島で生活していく私たちにとって、原発のために埋め立てを行って海を汚されることは、島で生きていくためには死活問題であり、絶対に許せるものではありません」との言葉には、千金の重みがある。
中村さんは、盆や正月に子や孫が帰ってくるのを何よりも楽しみにしておられる。それは祝島で暮らす多くの住民に共通の歓びであろう。筆者は昨年、祝島に伝わる伝統神事「神舞」を見せて頂いたが、島中から子どもたちの弾けるような笑い声が聞こえていた。この埋立免許は、中村さんの言う「過去から未来に繋がるはずの生活」を強く脅かしている。
二人目は、原告団代表の高島美登里さんである。高島さんら、「長島の自然を守る会(以下「守る会」)」の活動は、1999年の中国電力が行った環境影響評価準備書を公告縦覧で目にしたときから始まった。
そのアセスの杜撰さは、素人目にもはっきりと解るほど粗末なものであったという。守る会では、独自に調査を開始した。この10年間で、調査回数は延べ189回、参加人数は延べ1611人、協力してくれた各方面の専門家は67人にもなる。
その結果、スナメリやナメクジウオが健全に生息し、また、ヤシマイシン近似種、ナガシマツボ、カンムリウミスズメなど非常に貴重な生物の発見に繋がっている。“市民科学”という言葉が使われて久しいが、これほど継続して足を運び、徹底的に調査している団体を筆者は他に知らない。
守る会は元気な女性が多い。彼女たちがこれらの生き物の存在を歓び、慈しむ姿を見るたびに、人と自然のかかわり方というものを考えさせられる。高島さんは意見陳述の中で、「では、誰がこの豊かな自然をまもってきたのでしょうか」と問いかける。
その答えは、自然と共に生きる生活の知恵を持つ祝島に暮らす人々であると言う。確かに、底引き網で根こそぎ沿岸の魚をさらう漁法は、なぜか祝島では受け入れられず、生産性が低いと言って敬遠される一本釣りこそ祝島の主力漁法である。島の方にお話を伺うと、先の中村さんのイサリ漁や陸の産物においても、限られた資源を島の誰もが不公平なく使うことができ、“預かった”自然環境を大事に丹念に使い、未来に引き渡そうとする姿があるように思える。
高島さんは、1週間前には田ノ浦で3年ぶりにナメクジウオを採取し、3日前には、カンムリウミスズメに出会ったという。通常だと、この時期は最も出会う確率が少ないそうである。「私には、彼らが『どうか、長島の自然を守ってください。それがあなたたちのためでもあるのですよ!』と言っているように思えて仕方ありません」と述べた。
誰かの代弁をすることは難しい。しかし、誰かが「声なき声」を聞いたならば、声を出して訴えるほかないのだと、多くの傍聴者たちは感じたのではないだろうか。少なくとも筆者はそう得心した。
報告会
この後、次回公判の日程調整などが行われ閉廷となった。一行は場所を移し、報告会兼記者会見が行われた。篭橋弁護士から、訴訟における争点のポイントが説明された。
まず、「原告適格」の問題である。埋立免許を取り消しを訴えるには、埋立によって被害を受ける者しか原告とはなれない。この訴訟は、原発を作ることを目的とした埋立の取り消しを求めるものである。
つまり、原発が一度事故を起こせば、その被害の及ぶ範囲は広く、誰もがその潜在的被害者であるという見解からの訴えである。しかし、被告側(山口県)は、原発と埋立を全く別のものとして捉えて反論することが予想される。埋立だけに限定して見た場合、直接的な被害(土を入れるだけの被害)は非常に狭い範囲でしかなく、遠くに住む者には原告適格がないとの言い分である。これが大きな争点となることが想定されるため、祝島、山口・広島県周辺住民、それより遠い地域の住民の三層からなる原告の適格性について、次回までに、原告弁護団が見解を示すとのことであった。
また、祝島島民の会、長島の自然を守る会といった「団体」が原告に名を連ねているが、団体が原告となれるか、という点も争われることが予想される。これまで原告適格の問題で「団体」の適格性が争点となったことがなかったが、これは非常に重要な意味を持つ論点であるという。
多くの環境問題においても、団体の力なくしてこれを守ることはできない。今日、NGOやNPOの社会的意義や影響力は非常に大きくなっており、重要な役割を果たしている。このような自主的な団体に法的な地位を認め、公益的な意味を持つ裁判に参加することができる、つまり原告適格を認めよという訴えは、今後重要な意味を持つであろう、との事であった。
また、法廷での聞き取りにくいやり取りの中で、大きな事が決定していたことを知らされた。飯田恭示裁判長は、原告のスナメリを始めとする6種の生物と団体・市民の審理を分離することとし、スナメリたち原告については、10月20日に判決を言い渡すことが決定されていた。
唐突に、スナメリなどが分離され個別に判決が下されることを知らされたため、意外な展開という印象を受けたが、現実的に、法廷で生き物の原告適格を認めることは無いため、半ば予想されたことではあった。
その後、意見陳述をした中村隆子さんと高島美登里さんが感想を述べられ、質疑となった。裁判官の現地視察、自然は誰のものかという本格的な議論、裁判を通じて社会に問題を提示するという意義、原告それぞれの役割、地震に関する問題など、多岐にわたる意見や今後の展開が話された。
おわりに
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