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2010年3月4日木曜日

氏本長一さんの意見陳述書(第3回公判)

上関自然の権利訴訟 意見陳述書

祝島  氏 本 長 一 
1950年3月26日生(59歳)

 私は祝島に住む氏本長一といいます。
 私は祝島で、豚や牛の放牧、無農薬びわの栽培、甘藷など根菜類の栽培など複合的な農業で生計をたてています。
 豚や牛は遊休農地や山林に放牧しながら、島民の生活から出る食品残渣などを与えています。 また、びわの栽培や根菜類の栽培にも除草剤などの農薬はもちろんのこと化学肥料もほとんど使用しない有機的な農業です。

 私だけでなく、小さな離島・祝島の農民は、以前から化学肥料や農薬の使用を極力抑えた有機的な農業を営んでいます。
 一時の収穫を増やすために農薬や化学肥料を大量に投入すれば、遠からず農地だけでなく海を傷めてしまい、結果的に島の暮らしそのものが立ち行かなくなることをよく理解しているからです。

 過去からの長い期間、祝島ではほとんどの農民は漁業にも従事する半農半漁の生活を続けてきました。 イワシなどから作った魚粕や家畜の糞を農地の有機肥料として活用し、海や山に優しく島内完結性の高い、今日的表現では「地域資源循環型」というべき農業を営んできました。
 現在でも農地と漁船の両方を所有し、半農半漁の生活をしている島民はたくさんいます。

 生業としての農業と漁業を通して私たち島民は、山と海は不可分な関係であり、海と山からの恩恵でこれまで生きてこられたこと、これからも海と山の恩恵を受ける暮らしにこそ島の未来が開かれていることを理解しています。
 それゆえに島民は、海と山を守り次世代に伝えることは全島民の共通責任だと考えています。

 島民が海と山~地域の自然に畏敬と感謝の気持ちで関わってきたからこそ島民社会が持続力を失わなかったことは、「神舞」という神事が千年以上の長期にわたって島内に伝承されているという事実がよく表しています。

 このような農水産業の在りようこそが、祝島という小さな離島だけでなく、日本という大きな離島でも本来めざすべき農水産業のはずだという確信をもって、私は祝島で農業を営んでいます。

 そのかたわら島内の仲間とともに、一流の離島をめざす『祝島未来航海プロジェクト』という地域興しの活動に取り組んでいます。
 その活動の一環として、一昨年3月には自治会に働きかけて「自治会生態系保全規則」を制定しました。 
 島内に現存していない動植物の持ち込みを自主規制し、島民の義務として島の生態系を保全することなどが盛り込まれていて、自治会レベルでは全国初の規則とのことです。

 この「自治会生態系保全規則」制定の目的は、祝島という小さな離島の存立基盤は豊かな自然環境にあること、その自然環境を守ることは島民のいのちと暮らしを守ることと同義であることを島民自らが再認識するとともに、島外の人々に対しては島民の総意として意思表示することでした。

 その観点からも、祝島の目の前で強行されようとする上関原子力発電所建設とそれを前提とした田ノ浦湾の埋め立ては、原発の放射能の危険性以前に、原子炉冷却用温排水の周辺海域への大量放水も含めて、なにより現存する田ノ浦湾やその周辺の動植物の生活を完全に無視するものです。
 それは祝島を取り巻く海や山の生態系に深刻な影響を及ぼし、漁業のみならず無農薬を主体とする農業にも重大な懸念が生じることにほかなりません。
 そのあとに控える上関原発建設も含めて、現在の島民のいのちと暮らしだけでなく、島の将来までをも深刻な脅威にさらすもので、私にとって到底容認できるものではありません。

 私は、一旦損なってしまうと修復が不可能な生態系や生物多様性を壊してまで田ノ浦湾を埋め立てたり、子や孫は言うに及ばず幾世代もの子孫に放射性廃棄物の処理負担を押し付けながら、原発の電気に支えられた利便性を享受することに、次世代の人々に対し強い罪悪感を禁じえません。

 スナメリやカンムリウミスズメは、瀬戸内海にいのちを委ねて暮す私たち島民にとって大切な仲間であり、暮らしの豊かさ~クオリティ・オブ・ライフの重要な指標であり、人間の傲慢さを戒めてくれ、生態系の一員として生きるための謙虚さを教えてくれる大切な教師でもある、かけがえのない存在なのです。

 今回の埋め立て認可は、法人としての県が、多数の人間の利便性のためには小さな離島の少数住民や何種類かの動植物の生存権など、少々の犠牲は止むを得ないという切捨ての考えに立っていると受け止めるほかなく、その傲慢で想像力に欠けた人間性の感じられない県に「住みやすさ日本一の元気県づくり」を託す信頼感は微塵も湧いてきません。

 現在、人間の経済活動や生活行動と自然環境との関わりを「生物多様性」という視点でとらえることが世界的に大きな潮流となってきていますが、この「生物多様性」と「生態系」は表裏一体の概念です。
 図らずも今年10月の名古屋市で開催される生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)に向けて、先般日本政府は「生物多様性を2020年までの短期目標として現状より減少させず、2050年までの中長期目標として現状より増加させる」と公表しました。
 しかしながら瀬戸内海の田ノ浦湾では今日も、政府の生物多様性行動計画と完全に相反する生物多様性を否定する埋め立て工事が続いています。
 そして残念ながら、現行の国の法律や県の条令はこのような生物多様性や生態系を損なう行為に対し極めて寛容で、私が期待する被害の予防的抑止力を持ちえていません。
 それでもなお、埋め立てに反対する私たちが、このような立ち遅れた法的枠組みのもとであっても裁判に訴えるのは、この田ノ浦湾の埋め立て認可の理不尽さを正すことが、私のいのちだけでなく、私とともに暮す家族、私にいのちを託してくれている家畜たち、私のまわりの動植物すべてのいのちがかかっている、一人の人間として決してあきらめてはならないことだと確信しているからです。

沢村和世さんの意見陳述書(第2回公判)

陳述書


                           沢村和世

 私は下関市の住民で、沢村和世と申します。
 1941年(昭和16年)、5歳のとき両親の事情で下関市に移り住み、以来68年間ずっと、この地におります。
 下関はご存知の通り、周防灘、関門海峡、響灘に面しています。海への思いは一入のものがあります。
 その、響灘に面する豊北町に原発計画が浮上したのが1977年でした。幸いその時は、海を守る漁師さんたちの一致団結した気概でこの計画は葬られましたが、私はこのときから
 原発反対への思いがいっそうつのり、その思いは上関原発を建てさせてはならないという思いへとつながりました。

 下関は瀬戸内海の西の口です。その地の住民として、世界でもたぐい稀なほど、美しく恵み豊かなこの瀬戸内海の、西の口にしっかり位置している誇らしさを思います。そしてこの瀬戸内海のまわりで、何らかの恩恵を受けながら生活している3千万人もの人々に思いを繋げます。
 私の目にする関門海峡の潮流、航行する船の姿は、何十年後の人の目にも変わらないでしょう。瀬戸内海の、海も、島々の姿も、大きくは変わらないでしょう。
 しかし、この、目に入る姿は変わらなくても、目に捕まえられないところで、少しずつ、少しずつ、薬害で熱害で海が変質し、生き物が消えたなら、その時代に生きている人たちが、振り返って、「ああ、あの時の・・・」と、瀬戸内海に原発が建てられた時のことを悔やんでも、もう、取り返しがつきません。
 私たちは今、その岐路に立たされています。

 海の生き物が汚染されたり消えたりするということは、人間も生活できない、ということになります。それは、何十年後、何百年後もそうですが、「今」の問題でもあります。原発が建てられようとするその前に、すでに、埋め立てによる海の汚濁、騒音、砂浜を埋めてコンクリートに変えることによる生態系の破壊、その延長にある漁業の破壊は、容易にイメージされることです。
 その埋め立ての後に来るものが、この閉鎖海域を間断なくおそう、化学薬品、放射能を含んだ温水の垂れ流しであるならば、もう、完全に瀬戸内海は死にます。

 ところで、「瀬戸内海環境保全知事・市長会議」というものがあります。瀬戸内海周辺31の府・県・市が加わっており、今年はその39回目の年次総会が京都でありました。もちろん山口県も、下関市もその一員です。
 そうしたところで、「藻場、干潟、砂浜の保存」が書類に留められながら、上関では、せっかくの砂浜をコンクリートに変えようというのです。
 環境政策よりも、開発経済優先政策がいまだにまかり通っているのでしょうか。
 山口県が許可するに際し、田ノ浦の木の伐採は「森林法」に、また埋め立ては「公有水面埋立法」に叶っているからということですが、祝島の漁民がこの海域で漁をして生活を立てることが出来なくなることは、「最高法規・日本国憲法」に照らしてどうなるのかが問われると、私は思います。

 以上で私の陳述を終わります。

高島美登里さんの意見陳述書(第1回公判)

陳述書


                         2009年8月19日
                         山口県防府市下右田287-14
                             長島の 自然を守る会 
代表   高島美登里

 私は原告団体である長島の自然を守る会代表の高島美登里です。長島の自然を守る会は1999年9月に発足しました。発足のきっかけは中国電力が行った環境影響評価準備書の不備に端を発します。公告縦覧で眼にした準備書は、地元の人が日常的に目撃していたスナメリについての記載が一切ないなど、素人眼にも大変お粗末な内容でした。私たちは生態系全体の把握や保全対策など、より高い精度が要求される新アセス法に基付いて環境アセスメントをやり直すよう、中国電力に求めました。一方で事業者に任せてはおけないので、専門家の指導を仰ぎながら独自調査を行ってきました。10年間の調査回数はのべ189回、参加人数はのべ1,611人、指導を仰いだ研究者は67人にのぼります。その結果、スナメリやナメクジウオが健全に生息しており、高度経済成長期の埋立てや海砂採取によって失われた、瀬戸内海の生物多様性を残す唯一の場所であることがわかってきました。また、世界的に珍しいヤシマイシン近似種やナガシマツボの生息確認に加え、IUCN(国際自然保護連合)指定の絶滅危惧種であるカンムリウミスズメの繁殖可能性も指摘されるなど、専門家からも「世界遺産に匹敵するホットスポット」と絶賛される地域であることが明らかになっています。このことは既に日本生態学会中国四国地区会の論文集や日本生態学会・日本ベントス学会・日本鳥学会の保全要望決議などでも述べられています。

 さらに最近の調査研究で、里山から海岸まで人工物がないという自然のつながりが、1日最大700mm.もの湧き水のあふれる入り江を形成していることも解明されました。このような入り江は、現在では瀬戸内海に数箇所しか残っておらず、魚たちの産卵や稚魚を育てる場所として利用され、豊かな漁業資源を支えています。

 では、誰がこの豊かな自然を守ってきたのでしょうか。その答えは祝島の人たちの暮らしぶりに象徴されると言っても過言ではないでしょう。「採りすぎず、作りすぎず」という自然と共に生きる生活の知恵です。埋め立て予定地からは祝島に沈む夕陽を見ることが出来ます。逆に祝島から見ると埋め立て予定地に朝日が昇ります。島の人たちは毎朝、1日の無事を祈って朝陽に向かって手を合わせるそうです。つまり長島と祝島は自然環境においても暮らしにおいても一体なのです。ですから、祝島の人たちは、中国電力が環境アセスメントで祝島を調査対象からはずしたことに、強く抗議してきました。

 ところが、中国電力は、公有水面埋立免許願書提出にあたり、欠陥だらけの環境影響評価書を丸ごと引き写したのです。そして山口県知事は免許を交付してしまいました。工事目的である原子炉設置許可申請も出されていない段階で、どうしてそんなことができるのでしょうか。山口県知事自ら上関原発計画を国の電源開発基本計画に組み入れる際、「予定地は自然の宝庫との評価も得ている」ので環境保全に十分留意するよう、付帯意見を述べています。もし、このまま埋め立てが強行されれば、長島の素晴らしい自然環境と生態系はすべて失われてしまいます。トキや日本オオカミの例でも明らかなように一度失った自然は二度と戻ってきません。田ノ浦を埋め立てれば、瀬戸内海の生物群集を再生させる原資(ストック)となるべき個体群のセットは、すべて地球上から抹殺されてしまいます。対岸の祝島の人たちのくらしはどうなるのでしょう?漁場を奪われ、1日のうちでもっとも敬虔な祈りの瞬間(とき)も奪われ、くらしも心の支えも奪われてしまいます。

 21世紀は環境の世紀と言われます。時おりしも来年は生物多様性条約締約国会議が名古屋で開催されます。そんな時にこんな暴挙を許せば、日本は世界中に恥辱を晒すことになります。有明海の環境保護に一生をささげられた山下弘文さんが長島を訪れ、「この自然は過去からの預かり物だ。我々は未来の子供たちにそっくり引き渡す義務がある。」と言い遺されました。私たち人間は自然の一部であること、自然によって生かされていることを思い出すべきなのではないでしょうか。そして、生きものたちの声なき声に耳を傾けるべきではないでしょうか。

 1週間前に田ノ浦の海底調査で3年ぶりにナメクジウオを採取しました。また3日前にはカンムリウミスズメにも出会いました。通常だと一番会える確率の少ない時期なのです。私には、彼らが「どうか、長島の自然を守ってください。それがあなたたちのためでもあるのですよ!」と言っているように思われて仕方ありません。今回は長島を象徴する6種類の生き物たちに原告として登場して貰いましたが、彼らはすべての生き物の声を代弁しているのです。

 昨日、1通のお便りを頂きました。「原告になりたかったけれど、原告費用が払えず残念です。でも、裁判がいい方向に進むように傍聴席で見守っています。」というものでした。私たちも長島の自然を守り、共に生きたいと願うすべての人たちの声を代弁していることを申し添えます。

 山口県知事が公有水面埋め立て免許を取り下げるよう、法の判断が下されることを願ってやみません。

中村隆子さんの意見陳述書(第1回公判)

陳  述  書

平成21年8月19日
山口県熊毛郡上関町大字祝島315番第3地
中 村  隆 子

 私は、本訴訟の原告になっている中村隆子です。昭和5年3月30日、朝鮮全羅南道で生まれましたが、終戦後引揚者として祝島に帰り、いらい79歳になる今日までずっと祝島で生活をしています。祝島で結婚し、6人の子供を夫と一緒に『ほこつき』という漁業をしながら育て上げ、夫の亡くなった今も祝島で生活を続けています。今は、盆や正月などに成長した子供達が孫を連れて帰ってくるのを楽しみにしていますし、子供達のつれあいもみんな祝島のことを好いてくれており喜んでいます。

 また、原発問題が起こった当時から祝島婦人会の副会長をしており、平成8年からは祝島婦人会長として、島の生活改善などに取り組んでいます。

 祝島は、上関原発建設予定地から西に4キロしか離れていない現在人口500人程度の瀬戸内海の離島です。島では農業・漁業が中心ですが、最近では自然豊かなきれいな海で育った海産物や無農薬の農産物を活用した加工品つくりにも力を入れるとともに、島特有の歴史・伝統文化、豊かな自然景観などを活かした観光面での取り組みも進んでいます。

 しかし今、祝島の集落の前に、また私の家の窓から直接真正面でしかも毎日朝日の昇る位置に、原発がつくられようとしており、またそのために自然豊かな対岸の海が埋め立てられ、海が汚されようとしています。

 夫と共に働き、6人の子供を育てあげた『ほこつき』は別名で『いさり漁』とも言われますが、船の上から海に箱メガネをつけて、それで海の底にいるアワビ・サザエや魚を、長いさおの先につけてあるほこで突き刺してとりあげる漁法です。何にも増して澄んだきれいな海でないと仕事にはなりません。

 今まで、きれいで豊かな自然の恵みを受け、生活をしてこれたし、これからもずっと島で生活していく私たちにとって、原発のために埋め立てを行って海を汚されることは、島で生きていくためには死活問題であり、絶対許せるものではありません。

 このたびの、山口県・知事の交付した公有水面埋立免許は、過去から未来につながるはずの、離島での生活がきわめて困難になる結果をもたらします。

 中国電力による原子炉設置許可申請がいまだ出されておらず、しかも祝島島民をはじめ多くの人達の反対の声がある中で、どうして埋め立てを許可するのか山口県・知事の姿勢に大きな怒りを覚えます。

 県民の命と生活を守るべき立場であるはずの山口県・知事は、金と力を持っている事業者のほうを向いているとしか思えません。

 「住みよさ日本一の県」を目指している山口県・知事が、どうして県内に「住みにくさ日本一」になりかねない地域が出来ることに「協力」するのか不思議でたまりません。

 あらためて、山口県・知事が埋め立て免許を取り消すことになるよう、心から願っています。